I.バベルの塔が沈下する日 色のついた方形の台紙の上に、台紙よりは二回りか三回り小さい、さまざまな色、縦横がさまざまな比率の方形を、何枚も落としてみよう。次いで散らばった小方形を、ざっとかきよせる。いちばん上に出た色と、その下に隠れつつのぞくいくつもの色、そして地の色とが干渉しあうことによって、そこに、さまざまな方向への可能性をはらんだ空間が発生するはずだ。この空間、連作のタイトルに与えられた語を借りるなら<磁場>は、古代の原子論者たちやニュートンが考えたような、からっぽのものではない。空間自体が、さまざまな向きと量からなる力の交差と干渉によって、揺動することだろう。といって、連続した延長からなる、デカルトや相対論による空間でもあるまい。各一色のついた小方形は、不連続な単位をなしている。 作品一点一点の空間の性格が定まるにあたっては、小方形群および地の、色の関係のはたす役割がもっとも大きいとして、それ以外にも、いくつか関与してくる因子がある。色にしてからが、先ほどは色紙であるかのように記したが、油彩の肌合いが占める比重は小さくない。この点は、塗りに半透明なもの、不透明なものが区別されている点、飽和した色と濁って沈む色とのバランスが調整されている点などと相まって、色の無媒介な発現というよりは、その場に留まろうとするブレーキがかけられることになる。 また小方形は、縦横の比率を異にするとはいえ、支持体の方形をくりかえして画面全体と平行な入れ子をなす一方で、多くの場合斜めに配されるため、枠に対する牽引と反発を同時に作動させる。これに、小方形の重なりがもたらす(ホッチキスの断続線によって強調される)、画面に対し垂直への厚みと、水平に散らばろうとするヴェクトルが、掛けあわされることだろう。 これら複数の力が働きあうとすれば、地も中性的な背景ではいられまい。前に出よう、ひろがろうとする小方形群の力と拮抗するだけの力を、色や肌合いによって、地も獲得せずにいない。その時、小方形群はもはや、地の上にのっているのではない。前に出ようとすると同時に、地との横方向での交渉ゆえ沈もうともすれば、ひろがろうとすると同時に凝集しようともする、複数のヴェクトルの交差の内に滞留するのだ。そしてヴェクトルの複数性は、色の複数性と呼応して、華やかでもあれば沈潜してもいる空間を現われさせることになる。 以上は、昨二〇〇〇年の個展で発表された加藤の作品のおおよそであり、こうした相は、今回さらに展開されるはずだ。ふりかえれば、一九七〇年代末からのL字型による構成、八〇年代初頭からのV字型による構成、九〇年からの円弧による構成の連作は、いずれも、図と地の関係を主題としていたと見なせよう。その際、V字型および円弧による連作では、画面の外側から介入する要素を導入することで、地の活性化がさぐられていた。円弧による構成の連作で徐々に、モノクロームから色彩の複数化への移行がはかられ、九〇年代半ばから現在も継続中の『磁場に向けて』連作にいたる。色彩の発現に重点を置くためにか、形態は支持体の入れ子をなす方形に還元されるかたわら、方形の重なり方には、隠れた円弧が潜んでいる。ある意味で、複数の色彩もまた、安定と統一に根ざそうとする地に対し、外部にある他者と考えることができるかもしれない。それら複数の他者との交渉の内に、画面が自同律から抜けだそうとするさまを、現在の加藤の仕事に認めることができるだろうか。 II.そして言語は離散する 以上は、二〇〇一年二 - 三月の個展に際し記された。翌二〇〇二年の個展で発表された作品は、基本的には先立つ数年間の延長線上にあるものだったが、小方形の重なりは複雑さをいっそう増したかのように映り、その分、それ自体は以前の作品でも見られた二つの要素が、これまで以上に目を引くこととなる。一つは、しばしば上方の隅に、小さめの方形が画面の縦横の枠と平行に配される点だ。これは、下方の方形群の乱舞を歯止めすると同時に、戯れの動勢を保証しもするという機能をはたしていた。もう一点は、複数の色彩が交響する中への、異物としての白い方形の混入である。 これら二点の浮上は、画面を作りなす要素間の関係が、ある種の飽和状態に達していたことをしめすものとも解せよう。実際二〇〇三年二月の個展においては、あたかも、内圧の極にいたった方形群が爆発を起こし飛び散ったかのような相を呈していた。小方形はその姿を留めていても、大小のヒエラルキアなく散在し、あるいは方形が噛みあい透かしあった結果、断片化する。方形群の布置に隠れた円弧をやはり認めることができるとして、それは、より遠心的に機能している。 オールオーヴァに拡散した画面にあっては、手前と奥という層状の構造もその性格を変容させずにいまい。支持体は、画面に対し水平のヴェクトルにおいても垂直のヴェクトルにおいても、枠として限定する力を弱めることとなる。そんな中、一方で赤、次いで青等の色彩によるイリュージョンと、他方で方形の型どりおよび表面のテクスチャーというある意味で彫刻的な因子とが干渉しあい、視線に対する透過と抵抗、空間の拡張と制動が、より錯綜したものとして振動している。
筆者 石崎勝基(三重県立美術館学芸員)